ツール・ド・北海道第1ステージ


2008/9/10(水)
朝5時に家を出て、本厚木駅まで送ってもらう。
6時20分羽田着。
7時頃に三宅監督らが到着。
荷物を預けてチェックイン。
7:55分の飛行機で帯広へ。
機内で明治の吉井君と挨拶。
帯広空港から市内ホテルまでバスで約30分。
荷物を倉庫へ置いて、昼ご飯を食べに長崎屋。その後受付を帯広ぷらざで。
ライセンスコントロール。栗村君、黒川監督と挨拶。OBの恒松さんと挨拶。監督会議の後、ドライバーズミーティング。その後開会式。
柳沼さん、池田さんにチームを紹介する。井上君、佐野君とも会う。
各チーム呼ばれて、立ち上がって挨拶。綿貫民輔さん夫妻が来ていた。
狩野君、野寺君と挨拶をする。夕食時に狩野君と話しをする。
夕食後、8時からミーティングをして、自転車の調整と、パワータップの準備。スペアホイールの準備。ボトルを作る。全て終了したのが11時。


2008/9/11(木)
ツール・ド・北海道の第1ステージスタート。朝、5時半に起き、シャワーを浴びてまず朝ご飯を食べる。6時からの朝食だが、多くの選手が来ている。東大チームのメンバー、OBと一緒に食べて、6時半には部屋に戻り、荷造りを始める。
レガシィを車庫から出し、スペアホイールの準備。規定の空気圧を入れようとしてもポンプが全て怪しい。バルブ口がスカスカだったり、圧力ゲージの表示がおかしい。どうにか前後併せて8本を用意してチームカーに積む。選手のゴール後のカバンを積んで、8時にホテル出発。今日のスタートは9時半。214kmの最長区間。東大チームにとっては全く未知の領域。
スタート地点は北大と鹿屋のとなり。抽選で決まったカーNo.は12。メイタンの福島君と話しをしていたら、東大の学生に声を掛けてくれて「うしろで走っていようなどと考えちゃダメだ。俺たちに、どけどけくらいにして走ってろよ。けど俺の前には出るなよ」と冗談交じりでアドバイスしてくれた。
レーススタート30分前頃、急に目の前がクラクラしたかと思ったら、地震だった。電柱も看板も揺れているし、立っていられないのではないか?、と思うくらい揺れた。しばらく船酔いのような状態になった。こんな大きな地震は初めての経験。が、レースは定刻にスタート。
いきなり鹿屋の内間選手が逃げをうち、飯島さんと二人で100km以上逃げ続けた。東大チームは、フィードゾーンまで10kmくらいの地点でまず細川さんが遅れる。ボトルが足りないようで、なんとかBCAAを渡すが、1本しか渡せない。フィードゾーン直前で内藤君が遅れる。
ここからが最後から2つ目の登り。なんとフィードゾーンで西薗が転倒。シマノサポートカーに助けられて、再スタート。補給はとっていないのではないか?ボトルの準備をするが、彼は集団に復帰。

最後の登りが始まると、集団は細かく切れていると無線では言っているが、審判車に止められてなかなか前へゆけない。
阿寒湖からの弟子屈町へ抜ける、最後の峠の頂上付近で切れた小集団の中に東君を見つける。飲み物を欲しがっていたので、BCAAをボトルに入れて渡す。しばらく引っ張ろうとするが、審判車にクラクションを鳴らされ、前へ行き、今度は西薗君と喬木君を追う。
下りでは自転車の方が速いので何人かの選手に抜かされる。
先月来て知っているが、個々の下りは急で、しかも弟子屈町まで長いフラットが続くので選手にはきつい。
弟子屈町で、15人くらいの集団にいる高木君を見つける。
そして、すぐに道路脇で応援してくれているおとっぺとおかっぺ(娘の保育園の創設者で、弟子屈町に住んでいる)に気づく。反対側だが、大きな声をあげて手を振ったら気づいたようだった。柳沼さん池田さんもそうだが、こんなところで応援してくれる人がいるのはうれしい。

まもなく一人旅の西薗選手を見つける。もうこれより前に東大チームの選手はいないので、彼をひきながらサポートする。ゴール直前でサポートカートは別れ、見送る。
ゴール地点へは別ルートで向かう。
西薗に続いて、高木、そして東が入ってきた。残念ながら細川、内藤の2選手はゴールできなかった。集団でゴールできると期待していた西薗選手は、下りの一列棒状区間で、ちょっとした隙に中切れして、それっきり高速で追いつけなかったようだ。

レース後にパワーデータをダウンロードしてみると、集団で峠を超えている区間では、370Wを6分半続けている区間がある。普段の練習では考えられないパフォーマンスであるが、レースだとこれができてしまうのである。
今日のステージは、レースの展開としてはあまり大きな動きはなかったが、東大チームは2人減ってしまったが、ツール・ド・北海道の最長ステージで実業団選手や強豪大学に混じって3人も生き残れた。ステージごとに疲れてゆくだろうが、彼らがこのレース経験を通じて一皮むける事を期待している。